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石田三成

豊臣秀吉公の忠実な家臣として活躍した石田三成公(1560年〜1600年)は、長浜市の東部、石田町に生まれました。幼名を佐吉といいました。佐吉は、幼いときから、学問修業のため観音寺に預けられました。15歳の時、当時長浜を領していた秀吉と出会います。鷹狩りの途中、観音寺に立ち寄り、お茶を所望する秀吉にたいし、三成は、熱い茶を少々、次は少しぬる目の茶を、最後にぬるい茶をなみなみと献上しました。この機才に感服した秀吉は、佐吉を召し抱えます。これが有名な「三献の茶」の伝承です。

その後、秀吉の側近官僚として仕えた三成は、佐和山城主として湖北一帯を治めるとともに、五奉行としても全国を舞台に活躍します。

豊臣秀吉亡き後の慶長5年(1600年)、徳川家康と戦った天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の合戦は、徳川軍の勝利に終わりました。敗者となった三成は、京都六条河原で処刑されます。
その後、江戸幕府のもとで悪しき烙印を押されてきた西軍の将・石田三成でしたが、近年、客観的な視点によってその忠義心が見直されてきました。新しい三成像が結ばれるようになったことは、三成の出生地をもつ北近江にとってうれしいこと。平成12年(2000年)の三成公没後400年の年には、地元長浜市石田町で盛大なイベントが開催されました。

頑なとも思われる正義感が、三成を関ヶ原に向かわせたことが、今は北近江の誇りとなっています。

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