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国友鉄砲の里資料館

鉄砲が種子島に伝来した翌年の天文13年(1544年)、国友の地で初めて鉄砲が作られました。将軍足利義晴の命によって製作された6匁玉筒2挺であると、「国友鉄砲記」に記されています。北近江には、古代製鉄遺跡や鉄に関わる地名が数多く残っていることから、古くから製鉄技術が伝わっていたと考えられます。

その後国友は、信長、秀吉、家康の加護を受けることになります。

やがて鉄砲は戦場で使われはじめました。織田信長は、元亀元年(1570年)の姉川の合戦でも鉄砲を使っています。さらに天正3年(1575年)の長篠合戦では鉄砲隊が主戦部隊として活躍しました。信長の鉄砲隊は、姉川の合戦では二段連撃ち、長篠の合戦では三段連撃ちを行ったといわれています。天正7年(1579年)、秀吉の三木城攻撃や天正18年(1590年)の小田原攻めでも国友鉄砲が使われていますし、石田三成も関ヶ原の合戦で多くの火縄銃を使用したと思われます。特に、国友の技術に目をつけた徳川家康は、国友を天領とします。

慶長から元和にかけての最盛期には、国友には70軒あまりの鍛冶屋と500人以上の職人が居住し、年寄を中心に組合を作って分業化を進めて生産を行いました。

しかし、世の中が平和になると鉄砲の需要が少なくなり、鍛冶師たちは、金工彫刻や花火などに活路を見出していきました。金工彫刻は、いまも長浜の曳山に、その粋を見ることができます。
昭和62年(1987年)に建てられたこの資料館は、そんな国友や鉄砲の歴史や、「東洋のエジソン」と称された国友出身の発明家・国友一貫斎の偉業を伝える施設です。1階ではマルチスクリーンやパネルを使って国友の歴史を紹介し、2階では鉄砲に関する歴史や製造過程と道具など、ナレーションをまじえてわかりやすく展示しています。本物の鉄砲を実際に持ってみることもできます。ウッ、意外に重い! こんなのを担いで戦っていたんですね。

国友一貫斎は、安永7年(1778年)、国友鉄砲鍛冶の年寄脇の家、国友藤兵衛家に生まれました。幼名は藤一(とういち)。9歳で父の名をついで一貫斎と号しました。

一貫斎は、腕のよい鉄砲鍛冶職人として活躍しただけでなく、気砲(空気銃)、天体望遠鏡の製作など多くの業績を残し、「東洋のエジソン」とも称されました。

一貫斎の業績のなかでもっとも評価が高いのは、日本初の天体望遠鏡の製作です。また、これを使っての天体観測では、月や太陽の黒点、土星観測まで行ないました。
またほかに、一貫斉は次のようなものを製作しています。

早打気砲。連発可能な鋼製弩弓(どきゅう)。太陽の光線を受けると鏡の裏の紋様が浮かびあがってくる不思議な鏡。懐中筆(現在の万年筆)。玉燈(水の上に油を浮かし、燈芯に火をつける照明器具)など。

一貫斎が望遠鏡の製作に着手したのは、晩年の55歳のことでした。いくつになっても探究心を忘れなかった一貫斎でしたが、天保11年(1840年)、幕末の激動を前に自宅で永眠しました。享年63歳でした。

開館時間
 9:00〜17:00(入館は16:30迄)

休館日
月曜日,祝翌日,毎月最終火曜日,年末年始 *2月は無休

料金  入館料:300円

駐車場  無

問い合わせ先  国友鉄砲の里資料館

問い合わせ電話番号  0749-62-1250

施設情報

〒526-0001
長浜市国友町534

電話番号  0749-62-1250

FAX番号  

URL  http://www.home-nagahama.org/tepponosato/