| 浜ちりめんの創始者
中村林助・乾庄九郎
なかむらりんすけ・いぬいしょうくろう |
| ◆生年月日:─ ◆性別:男 |
| ◆没年:中村林助・明和4年(1767) 乾庄九郎・明和5年(1768) |
| ◆出身地:〒─ 難波村(現、びわ町大字難波) |
| ◆電話番号:─ ◆FAX:─ |
◆解説:
難波村を含むこの辺りは、古来より姉川・高時川・田川の氾濫により水害に苦しめられていたため、水害に強い桑を育てて蚕を飼い、生糸を生産して生活の助けとしていた。幕藩領主が奨励する養蚕は農家の副業として大いに発展したが、逆に生産過剰となり、生糸の価格下落を招く結果となる。 そうした中で、林助・庄九郎は、丹後ちりめんの織り方を知る者を雇い、諸道具を購入するなど、両名の大きな経済力でその費用を負担する。 ちりめん織は高級絹織物であるため、長浜・彦根などの地方都市だけでは売り捌けず、呉服の一大消費地である京都で販売して大きな利益を得るのである。しかし西陣織の織屋が保護されていた京都では販売規制があり、販売禁止の処分を受けたため林助・庄九郎も投獄される。 投獄生活を終えた両名は再びちりめんの販売に着手するが、表立って京都の大店で販売できないため、密かに販売する「抜売」により販売するが、非合法であるため高値で売買出来ずにいた。そこで難波村の領主である彦根藩の力を借り、彦根藩の御年貢ちりめんとして京都での販売許可を得て、その地位を確立していった。このように江州ちりめんは、生糸の価格下落、林助・庄九郎の先見性と決断力、行動力、経済力、生糸の売買で培った販売ルートの存在、彦根藩による保護などの諸条件が整って初めて成し得たものである。
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| ◆備考: |
◆参考資料:
『長浜縮緬の専売と織元』三島康雄著 千倉書房 1975年 千倉書房
『幕藩社会の地域構造』矢守一彦著 大明堂 1975年 大明堂
『西陣史』佐々木信三郎著 思文閣出版 1932年 思文閣出版
『竹生島宝厳寺』 1992年 長浜市立長浜城歴史博物館
『長浜の人物』 1995年 長浜市図書館
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| ◆関連項目: |
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