西川太治郎
にしかわたじろう

◆生年月日:元治元年(1864)5月17日 ◆性別:
◆没年:
◆出身地:〒─ 中浜村(現、びわ町大字南浜字中浜)
◆電話番号:─ ◆FAX:

◆解説:

 東京専門学校(現、早稲田大学)を卒業後、甲府の山梨日々新聞社に入社し、これ以後中断もあるが長く新聞記者生活を送る。明治23年(1890)の国会開設とともに滋賀県から選出された貴族院議員下郷傳平の秘書となり、翌24年、大津町(現、大津市)にあった近江新報社に招かれ主筆となり、明治29年(1896)に社長となり、大正期に入る頃には、県下最大手の地方新聞社に発展させた。この間、明治の政府や経済を地方の立場で実践的に推進したものとして評価されている。まず、地方産業の組織化を唱えた薩摩藩出身の前田正名(1850〜1921)と明治27年(1894)まで私財を投じて行動を共にし、前田や西川の支えによって産業組織化運動は燎原の火のように拡大したと言われている。いちはやく長浜町(現、長浜市)に近江縮緬業部が組織されたのも、地元実業家の説得に彼がはせ参じたからである。その後、明治28年(1895)ころからは実業運動を離れ、近江新報社の社業に専念し、時事問題に健筆をふるい、また、先人の隠れた業績を紹介するなど、情熱的に新聞発行に取り組んだ。仕事の関係で大津に生活の場をおいていた彼は、明治32年(1903)より大津市の市参事会員を皮切りに商工会議所議員、会頭、県会議員、大津市長、さらに、大正4年(1915)には衆議院議員に選出され、大正9年まで滋賀県発展に寄与することが多かった。以上人生の大半を大津で過ごしているが、晩年は故郷中浜の自宅に帰り、「峡陽」と号し風雅の世界に遊び、悠々自適の生活を送ったと言われている。昭和17年(1942)5月15日、79歳の寿をもって終わる。
◆備考:

◆参考資料:

『滋賀県史 第三巻』 1972年 滋賀県
『滋賀県議会史 第四巻』 1973年 滋賀県議会史編纂委員会
『滋賀県の百年』傳田功著 山川出版 1984年 山川出版
『人物行書 前田正名』祖田修著 吉川弘文館 1973年 吉川弘文館
『現代滋賀県人物史』布施善治郎著 章龍社 章龍社
◆関連項目:

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