戦国武将
安養寺三郎左衛門(戦国時代)
あんようじ さぶろうざえもん(せんごくじだい)

◆生年月日:─ ◆性別:
◆没年:
◆出身地:〒─ 安養寺村(現、びわ町大字安養寺)
◆電話番号:─ ◆FAX:

◆解説:

 姉川合戦で浅井軍の敗北が明白となり、浅井長政も小谷へ引いてしまった中、浅井の重臣であった安養寺三郎左衛門は、織田側に捕まり信長の前に引き出される。
 信長の妹お市が浅井家へ輿入れする際、三郎左衛門も縁談の成立に一役かったことから、信長は三郎左衛門を旧知であった。信長は何回も死を請う三郎左衛門にこれを許さず、小谷へ帰り浅井家のために無二の忠節を尽くせという。
 さらに信長は三郎左衛門に小谷城は今責めれば落ちるか問うが、三郎左衛門は小谷城には長政の父(久政)や意気盛んな城兵が多く簡単には落ちないであろうと述べる。信長はこれを聞いて秀吉が小谷速攻を進言したにもかかわらず、城攻めは行なわなかった。
 以後、三郎左衛門の家からは安養寺氏種が出しており、京極家を再建した京極高次に仕え、関ケ原の合戦の際には大津城ろう城に参加し、戦後も高次の家臣として仕える。
 京極の「根本被官」として出発した安養寺家は浅井氏の元で華々しい活躍をした後、再び京極氏の家臣へと戻ることになる。
◆備考:

◆参考資料:

『東浅井郡志』黒田惟信著 名著出版 1971年 名著出版
『浅井三代記』其阿雄山著 
『菅浦文書』1967年 滋賀大学経済学部付属資料館
『つねよ物語』北川良也著 1960年 
『滋賀県中世城郭分布調査』1990年 滋賀県教育委員会
◆関連項目:姉川古戦場

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