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橋本清蔵(本名 可和(よしかず))
はしもとせいぞう(よしかず)
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| ◆生年月日:天文元年(1740) ◆性別:男 |
| ◆没年:文政6年(1823)6月28日 |
| ◆出身地:〒─ 川道村(現、びわ町川道 橋本医院旧宅) |
| ◆電話番号:─ ◆FAX:─ |
◆解説:
川道村の庄屋。次郎兵衛の子として生まれ、明和年間(1764〜72)頃庄屋をつとめた人物。彼にとって殊に特筆されるべきことは瀬田川の浚渫(しゅんせつ)についての並々ならぬ働きかけであった。 この瀬田川さらえは湖辺の村々にとって直接収穫に関わることであり、河川の改補修と共に村民の最大の関心事であった。幕府は重ねての請願に対しても首を縦に振らず大変苦労したという。
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◆備考: 「公儀(幕府)を動かすのは嘘も方便、湖水を三尺下げ湖岸に新田を開くために瀬田川をさらえさせてほしいと願い出よ。そうすれば容易に許可されるであろう」と公儀役人に言われるままに帳面を差し出したところ、早速に実地検分のため代官が出張してきた。ところが各村の総代たちは川浚えのことだけで新開地(新田作り)のことを知らされていなかったので、この話はおじゃんになってしまったという。 |
◆参考資料:
『東浅井郡志』黒田惟信著 名著出版 1971年 名著出版
『琵琶湖治水沿革志』琵琶湖治水会編 1925年
『川道区有文書』 宮川弘久、橋本修
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| ◆関連項目: |
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