小谷城第3代城主
浅井長政
あざいながまさ

◆生年月日:天文14年(1545) ◆性別:
◆没年:天正元年(1573)
◆出身地:〒─ ─
◆電話番号:─ ◆FAX:

◆解説:

 小谷城三代城主。16歳の時、六角氏との戦いに勝ち、父から家督を継ぎ城主となりました。織田信長の妹・お市と結婚しました。元亀元年(1570)信長が越前(今の福井県東部)の朝倉義景を攻めたとき、浅井氏は、亮政の時代から朝倉氏と友好関係を結んでいたので、どちらに応援するか迷いましたが朝倉氏に味方しました。織田信長と徳川家康の連合軍と姉川で戦って敗れ、3年後小谷城を攻められ天正元年(1573)9月1日、小谷城は落城しました。長政は、父久政とともに自害しました。29歳でした。
 お市の方と3人の娘は、信長のもとに送りかえされましたが、長男の万福丸は捕られ、殺されました。
◆備考:
◆小谷城の七不思議

1.浅井氏先祖の謎 : 古代からの豪族であるという説と、藤原三条大納言公綱説、物部守屋説と意見が分かれているが、いずれと断定しがたい。

2.築城年代の謎 : 浅井三代記によると、永正13年(1516)9月28日に起工し、同年10月20日に完成したとあるが、これについてはそれ以前から築かれていたという説もあるし、またもっと後の年代であるとも言う。確かな資料によって確認できるのは、「朝倉宗滴話記」という資料により、大永5年(1525)7月16日以前には既に存在していたということである。

3.建造物の謎 : 小谷城は、板葺きかこけら葺きであったらしく、瓦の破片も出ていない。三層の天守矢倉は、現在彦根城西北の鐘の丸といい、また、今はなき土佐矢倉ともいう。

4.飲料水の謎 : 馬洗い池の水は、はるかに遠い天吉寺山の元池からサイフォン仕掛けの樋で採ってきていたという伝説がある。その名残が今も虎姫町三川の元三大師の井戸替え行事だという。落城間際、織田信長は浅井の将兵からこの秘密を聞き出し、導水管を切断して城内の水源を押さえた。城内の飲料水はやがて底をついたが、長政はその竹の樋から白米を流して水がまだあるように見せかけたという「白米城伝説」が残っている。果たして本当にそうだったのか、伝承に頼るだけである。

5.マムシの謎 : 落城の際、この山で討ち死にした800人の侍たちの魂はマムシとなって生き残り今でも城跡を守っている。ここでマムシを殺せば、鳴き声を合図に山中のマムシが襲いかかってくるといわれている。

6.秘宝の謎 : 浅井一族がもっていた莫大な金銀財宝は、朝日夕日の差す南の尾根のどこかに今なお眠っているといわれている。

7.子孫の謎 : 長政の子は長男万福丸、長女茶々、二女お初、三女おごうの一男三女となっているが、三男虎千代丸は落城の際、家臣に伴われて近江町長沢の福田寺に匿われ、後に僧になったと伝えられているが、お市以外の女性の子ではなかろうか。

◆参考資料:

『湖北町歴史発見の旅』 湖北町教育委員会
『東浅井郡志』黒田惟信著 名著出版 1971年 名著出版
『近江浅井氏』小和田哲男著 新人物往来社 1973年 新人物往来社
『戦国大名家臣団辞典 西国編』小和田哲男著 新人物往来社 1981年 新人物往来社
『戦国三姉妹』小和田哲男著 新人物往来社 1997年 新人物往来社
◆関連項目:

BACK