| ◆生年月日:天文15年(1546) ◆性別:男 |
| ◆没年:慶長10年(1605)9月20日 |
| ◆出身地:〒482-0000 愛知県岩倉市(一説に愛知県木曽川町) |
| ◆電話番号:─ ◆FAX:─ |
◆解説:
安土桃山時代・江戸初期の大名。土佐藩祖。幼名辰之助。伊(猪)右衛門と称す。対馬守、土佐守となる。父盛豊は岩倉城主織田信安に仕え、黒田城を預かったが、戦死後、一豊は諸所を放浪する。永禄末年から元亀年間に信長に仕え、天正元年(1573)の浅井・朝倉攻めで功をたて近江唐国四百石を領す。この頃、妻千代の資金で馬を買った話は有名。のち秀吉に属し長篠の戦い、中国征伐、山崎の合戦、賤ヶ岳の戦いなどに従軍し、天正13年(1585)近江長浜二万石の城主となり、豊臣秀次付きを命ぜられる。天正18年(1590)小田原城攻めに参加、同年遠州掛川五万石の城主となる。その後慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで徳川家康に属し、戦後土佐二十余万石の城主となり、高知城を築いた。
|
◆備考:◆「橋本文書」(虎姫町唐国) 唐国村の舟橋が天正年間に落ち、人馬の通行が出来なくなったため、山内家の奉行人が付近の村々に命じて、小谷山から材木を切り出させ、架け替えをさせている。 |
◆参考資料:
『山内一豊』山本大著 人物往来社 1966年 人物往来社
|
| ◆関連項目:賤ヶ岳合戦 |
|